【生まれ故郷がなくなった】高校時代 そして一家離散

孤独な中学生活を終え
学費の安い公立高校に入学し、
私の高校生活が始まった。

悪化する視力と眼鏡の購入

目の乱視は更に酷くなり、
入学時の健康診断で
裸眼の視力は『0.1』と診断された

流石にこのままでは、授業に影響が出るため
母親に申し訳なく思いながらもその事を伝えた。

相変わらず家に金は無い状態だが、
中学の頃から母親もパートに出ており
眼鏡を買って貰う事ができた

当時の眼鏡は現在のように1万以下で買える
という事はなく、6万近くかかった事を覚えている。

お年玉などで貯金をしていれば
母にねだる事もなく購入できた事を思うと、
今このブログを書いている自分としては
申し訳なく思う

おかげで黒板の文字も見えるようになった私は
順調に成績が上がっていった。

公立の商業高校という事で周り友達も
塾に行っている者はおらず、
成績も似たり寄ったりで気楽なクラスだった。

この時に私が打ち込んでいたのが資格の取得。
簿記、珠算、情報処理等取得する事が目標だった。

高校3年になると学校には内緒で
携帯ショップでアルバイトも始めた。

仕事をして対価を得る事、仕事中
年上のショップのお姉さんと話が出来るので、
バイトに行くのが楽しかった。

バイト代は月に5万近く得られたが、
何に使ったのか相変わらず貯金は無かった

そしてついに一家離散

家庭については結局高校2年が終わる頃、
両親が離婚。

母が古いアパートを借り
私たち兄妹を連れて実家を出た

これで私は生まれ育った故郷を失った。

一家離散である。

あれから20年近く経つが故郷を失った
心の傷は引きずっている。

それ以来今日に至るまで
父には会っていない。

テレビ番組で昔別れた父との再会
というものを見るとあんなの嘘だと
感じる。

生まれ育った故郷を奪った父を
絶対に許さない。

たぶんこの後も一生父と祖母に
会う事はないだろう。

風の噂で現在実家は、叔父が引き取って
父、祖母と住んでいるらしい。

実家から引っ越す当日の出来事

実家から引っ越す日
私はもの凄く悔しい思いに駆られて、
家中の壁を殴り穴を開け続けた。

(なんで生まれ育った実家から
 出ていかなければならないのか?)
(出ていくのは父の方ではないか?)

実家を失う事の悲しさ、近所に対する恥ずかしさと
私が今後住まないこんな家どうでもいいという思いで
気が付けば拳が血だらけであった。

母が借りたアパートは高校から約10キロと
遠いため、安い原付を買い高校近くの叔父の家に
止めてから学校に通っていた。

高校3年生 引っ越し後の生活

友達に両親が離婚し家を出た事、
アパートから原付で通っている事
知られたくなく、朝早く叔父の家に着き、
学校にも早い時間に通っていた

先生から見たら
勉強熱心な子と映っただろう。

高校3年になると奨学金を得て
大学に通う道も提案されたが、
私は就職する事にした。

世間ではITバブルが弾け、
就職氷河期と呼ばれる
派遣社員制度が注目を浴びた
時代だった。

今思えば先生のポジショントーク
だった可能性もあるが、

「この時代大学4年行った後も就職できる
 保証はないぞ!
 就職できるうちにしなさい」という
言葉もあり、バイトで面白みを感じた
小売業に就職を決めた。

今でも就職を選んだこの選択は
正しかったと思う。

理由は就職先が当時大卒しか採用して
おらず、給料が高いから。

その反面高卒という劣等感を
抱え続けている事も事実だ。

『大学どこ?』こんな質問は
日常茶飯事だ。

私はその度に話題を逸らすのだ。

こんな時に
大学いきたかったなと強く思う。

君津商業高校

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