【なんで俺だけ】中学時代 家庭崩壊の始まり

中学に入学すると最初は学年で
10位以内に入っていた成績が、
徐々に下がり1年の3学期には
クラスで中の下まで降下した。

大きな要因は2つ

  1. 視力の急激な悪化で黒板の文字が見えない
  2. 塾に通えず英語がさっぱり分からない

ゲームのやりすぎと親の遺伝で目の乱視が強くなり、
私は急速に視力が悪化していった。

その頃金銭的な理由で塾に通う事が出来なかった為、
特に中学で新しく追加された英語については
ABCの読み書き以外さっぱり分からなかった

なぜこんな事になったのか、
小学校時代は比較的お金があった
家庭環境が大きく変わっていたからだ。

小6の時におじいさんが脳梗塞で他界。

その後私の父親の心のタガが外れたのか、
元々陰で行っていたのか数百万単位の借金を繰り返し
私が中学に入った頃には両親の夫婦喧嘩が絶えなかった


父が抱えた闇

借金の理由は浮気とギャンブル。

父は借金を隠すために他社から借金を繰り返し
雪だるま式に借金が増えていった。

当時はインターネットもなく、借金を整理する為の
債務整理など対応方法片田舎人間の知識として
あるはずもなかった。

自己破産は恥!そんな事は出来ない。

家族はそんな考えの中で父が作った借金が
発覚する度に貯金を切り崩し、
貯金が尽きたら父の兄弟、母の実家に頭を下げて
金を借りて回っていた。

父への憎しみ

何度も何度も借金を繰り返す父に対し、
叔父が包丁を突き付けた事もあった。

夜中に母親が泣きながら車に乗り込み、
私が慌てて助手席に乗ると
そのまま海岸に向かい、
「車ごと海に飛び込んで死んでやる!」
心中しかけたもあった。

私自身も何度も繰り返される夫婦喧嘩に対し、
父親の顔面を蹴り飛ばし気絶させた事もあった。

家族は限界だった。

そんな状況の中で子供心として、
眼鏡が欲しいとも塾に通いたいとも
言い出せなかった

家庭はグチャグチャでも朝が来たら学校に
通わなくてはならない。

いつも不安と隣り合わせの中、友達には悟られないよう
いつもニコニコしていた。

そして高校への進学は

中学3年になると、
高校だけはいってくれという
母の言葉を受け地元公立の商業学校へ
進学を目指す事にした。

塾に行けないのは変わらずであったが、
出来ない英語を引きずりながら
なんとか合格する事ができた。

将来やりたい事もないし、仮にあったとしても
どうやったらなれるのか分からない

そもそもこんな不安な家庭環境だから、
自身も不安しかないそんな中学時代だった。

大貫中学校

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