就職し1年が過ぎたとき、
春の定期異動が発令された。
やっと慣れてきた埼玉の土地を離れ、
茨城県の最北部への異動であった。
異動が決まると、
店の皆から送別会がありお別れをした。
不思議と涙は流れず
新天地への不安ばかりが募った。
茨城での生活開始
中型バイクで向かったが、
遠かったという記憶しかない。
配属先は本当に小さなお店だった。
従業員の数も少なく
年が大きく離れた方しか
いなかった。
仕事自体は埼玉にいた頃に比べて
客数も少なく、
毎日定時に帰れる環境だった。
平和なのか人口が少ない為か、
駅前に警察も配備されていない。
私がいた間で記憶にある
起きた大きな事件といえば
一つしかない。
店舗で起きた事件
ある日働いている店の前に
たこ焼きの屋台が出来たが、
そこの
従業員が店の食材を盗んで営業
していたのだ。
結局
そこの従業員が盗みに来るたびに、
監視強化を行っていたら
盗むこともできなかったようだ。
ある日屋台が放火されて焼失し
従業員は失踪した。
そんな環境で2つの転機が訪れた。
- バイクが窃盗に会い、車を購入した事
- あまりにやる事がなく、パチンコ屋に入り浸った事
車の購入
車について今思えば、
中古の安い軽を買えばよかった。
しかし当時の私は見栄と高速を早く
走りたいという思いで、
新車の三菱エアトレックに
300万近い金額のローンを組んだ。
車とは買って終わりではない
- 税金
- ガソリン
- 保険
- 駐車場代等
ローン以外にも毎月3万近い金額が飛んで行った。
バイクとは雲泥の差だった。
初めて車のローンと維持費が
毎月の家計にのしかかってきた。
パチンコ
父の事もあり避けてきたが、
あまりの娯楽の無さと
近所パチンコ屋が『ルーキー』
という店名につられ入店した。
ここで初めて
ビギナーズラックにより
10万近く大勝ちをしてしまった
のが始まりで、
毎日のように入り浸った。
その後も嘘のように
行く度に数万勝ちを収めた。
結局このお店ではトータルでも
負けることはなかったが、
その後
新天地で大きな代償を払う事になるとは、
まだこの時は知る由もない。
着任から半年後、
茨城の店舗閉鎖が決まり
それに伴う異動が急遽発令された。
結局茨城で得たものは
車のローンとパチンコ依存症への
きっかけであった。
https://www.p-world.co.jp/ibaraki/rookie.htm
色々あったが人生でもう一度は行きたい街である